いつものとこで待ってるから、

そんな簡潔なメールが送られてきたのは、10分ほど前。
他には特に急ぎですることはなかったので、うつ伏せになりながらいじっていた携帯電話を閉じて玄
関へと向かった。
すぐそこに出かけるだけだし、いらないかなとも思ったが、前にプライベートで出かけた時ファンに
見つかりしつこく追い回されたことを思い出したので、3歩戻りクローゼットから帽子を出して深め
に被った。
「真、出かけるのー?」
「うん、ちょっとそこまで。」
「今日は父さん遠征から帰ってくる日よ、早めに帰ってきなさいね。真がいないと父さんの機嫌すご
く悪いんだから。」
「大丈夫、わかってるって。行ってきまーす。」
玄関でスニーカーの靴ひもを結ぶボクに、台所から母さんが言った。
父さんが遠征先で6位入賞して、今日は凱旋帰宅してくる日だ。夕食もいつもよりちょっぴり豪華に
違いない。
「よし、と」
何が良いのか自分でもわからなかったけど、靴ひもを結び終えたと同時に声が自然に出た。


西の空がもうすぐで茜色に染まる頃。
「じゃーねー!」「また明日ねー!」「ばいばい!」そう言って子供達が走り抜けていったその先の
空き地に人影がある。
「ほらよっ」
その人はほぼ空き地の真ん中に居て、手持無沙汰にボールを軽く投げ上げている。ボクに気づくと下
に置いていた何かを投げた。
それはゆるやかな軌道で放物線を描き、ボクの手元にすっぽりと納まる。グローブだ。
「キャッチボールしようぜ」
「……うん」
いきなり人を呼び出したと思ったら第一声がそれか、とか言いたい事は山ほどあったけど何も言葉に
ならなかった。
とりあえず手元のグローブをはめて反対側に行き、10mの距離を取る。邪魔な帽子は下に置いた。
「さ、来い」
「じゃ、まずは軽くから」
ボクがいつでもいいよの意味で黄色いグローブをパクパクさせると、緩いキャッチボールが始まった。

ポス。

ポス。

「あのさ、いきなり呼び出すのはどうかと思うんだ。」
「真、今日はめずらしくオフだとか言ってたじゃん。」
「いつ?」
「先週。電話で」
「そうだっけ」
ボクは2、3歩下がる。向こうもそれを見て2、3歩下がった。


パシ。


パシ。


「あー思い出したっ!でも、やりたい事があるから嬉しいって話したよね?」
「どうせRaRaRaのまとめ読みと寝る事だけだろ?」
「はずれー!アルバムについてのアイディア練ってましたー!」
「さっきまで寝てたろ」
「うっ……」
アルバムのコンセプトを考えていたのも事実だけど、色々な案が出る内に客観的に見れなくなり、休
憩と称してベットの上でゴロゴロとしていたのも事実なのでそれ以上は何も否定出来なかった。
昔から変わらない。ボクがわかりやすすぎるらしいけど、こうやっていつも行動とか考えてる事を読
まれてるのは悔しい。距離はキャッチボールを始めた時の二倍になっていた。


シュッ   パン。


シュッ    パン。


「あのさ、」

「なにー?」

「ここ、もうすぐ無くなるんだってさ。」

「え?」

「マンションになるんだって」


シュッ    


ボールがグローブの土手に当たって、足元に落ちる。

「ごめんごめん。」

ボクはすぐに投げ返す。リズムもフォームもバラバラの、高いフライみたいなへなちょこボールにな
った。


ポス。


「だからさ」


さっきよりちょっと遅めのボールがきた。

「そっか」

しっかりと掴む。投げる。

「呼んでくれて、ありがと!」


バン!


全力を込めたボールは、構えたところへ矢のように一直線にグラブへと入った。
「ストライク、バッターアウト!」
「へへっ、やーりぃ♪」
20m先で口が小さく歪んだのが見えた。何の合図も無しにギアを変えるなって言いたいんだな。
ボクが同じ事をされたら敵わないので、小さく舌を出したのち、右手で軽くごめんの合図をした。


シュッ  パン


シュッ   パン


「あと、真にダッツおごってもらいに来た」
「へ?ボクお財布持ってないけ………あー!!まさか!」
「そう、まさかの」
「嘘だよね?」
「彼女出来ました」
「えー!」

空き地にこれでもかとボクの声が響く。日頃のボイスレッスンの成果が表れた声は結構な声量で、前
の道路を犬と一緒に散歩してたおじいさんが振り返った。
ボクは慌てて手(とボールの入ったグローブ)で口を塞ぐ素振りをして、頭を軽く下げた。おじいさ
んは何もなかったのように通り過ぎる。皮と油が混ざったにおいが鼻をかすめた。

「うーわー。賭けなんかしなきゃよかった。ちぇっ。」
「レディーボーデンでもダッツでも何でも奢るって言ったよな?自分から?」
「……わーかーりーました!今度奢らせていただきます!」
「ドルチェシリーズな」
「あーあー。」
「真、」

「好きだった」

シャッ  バシ


向こうの口が動いたと思ったらいきなりの超スピードボールがきてボクは目を何回か瞬きさせた。
左手がジンジンと痛い。かろうじてグローブの中に入ってるもののこれがキャッチ出来てなかったら
どうなってたことか。
顔にでも当たってたら大変なことになっただろう。プロデューサーや社長に何を言われるかわからな
いし、律子の額に青筋が浮かぶのも容易に想像出来るし、メイクさん達のこれ隠せるかしらという座
談会の中で何かしらお咎めもあるだろう。
一応、現役アイドルなんだから危ない球は無しだよ。そんな風に思って手元のボールから向こうに立
っている彼に視線をやると何故か満足そうな顔が見えた。

「敬介ー!」

「知ってたよ」

シュン  バシ


その顔を見たら自分も思いっきり投げたくなって、ワインドアップから自分の投げれる限界のスピー
ドのボールを投げた。
敬介、目パチパチさせてる。ははー、さっきのが最高速だと思ってたんだな。見たかっ、ボクの力!

「そろそろ帰ろーぜ。ボール見えなくなる。」
「そうだね」
あと少しで父さんが帰ってくる頃だ。流石に間に合わなかったらまずい。


シュッ  パン


シュッ   パン


2つの長い影が1歩、また1歩と近づいていく。

ポス。

ポス。

「ありがとうございました。」
「ありがとうございました。」
ふたりで同時に言葉が出て、それがなんだかおかしくて笑い合った。



「彼女どんな子?かわいい?」
「背はこのくらいで、白くて……かわいいよ、そりゃ。」
「はいはい、ごちそうさまです」
「あと、真のファンだと」
「へ?」
「こないだの新曲ずっと聴いてる。」
「そうなんだ!なんか嬉しいなぁ。」
「今度、」
「?」
「今度ライブがあったら2人で行くよ。」
「うん、楽しみにしてて!客席のどこにいても見つけて2人に手振るからさ。」
「そしたら俺『やっぱり真くんの方がカッコいい!』とか言われてフラれるかも」
「ははっ。で、敬介は新曲聴いてくれてないの?」
「いや、聴いたけどさ、俺はどっちかっていうとカップリングの可愛い系の曲の方が……」
「そうだ!」
「何だよ?」
「アルバムのコンセプト!いいの思いついちゃった!」
「ふーん」
「知りたくないの?」
「……知りたい。」
「………内緒。」
「ケンカ売ってる?」
「へへっ!発売までのお楽しみだよ!」



アイ・ラブド・ユー